みやざき中央新聞(現日本講演新聞)の水谷もり人編集長の
社説で気になるのがありましたので紹介します。
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「どうしようもない人」というような人が私たちの周りには
1人や2人、いるものである。

赤の他人であれば人間関係を切ってしまえばいいのだが、
親戚にいたり、職場にいたりすると、ストレスの原因
にもなるので、その人との付き合い方を考えねばならない。

 まず、自分がそう思われていないか客観的に自分を
振り返ってみるのもいいかもしれない。

つまり、「どうしようもない人」とはどんな人なのか
を一応定義しておくのである。

たとえば、自信満々なのはいいのだが、
それ故に人の話やアドバイスを聞かない人

あるいは「金銭にだらしがない」「約束を守らない」
「時間にいつもルーズ」など、社会人としての基本ができていない人、等々。

 辛口の論客で、哲学者の適菜収さんはそういう人のことを、
もっと残酷な言葉で「取り返しのつかない人」と呼んでいる。
そして、「彼らはどこで取り返しのつかない人生を
歩むようになってしまったのか?」という自問に対して、
「読書に対する姿勢が大きくかかわっていると思う」と、
著書『死ぬ前に公開しない読書術』の中で自答している。

すなわち、「とりかえしのない人」は本を全く読まないか、
大人になっても「子供の読書」を続けているというのだ。

 適菜さんが言う。「子供の読書」とは知識を得るための読書。
そういう人は大人になっても知識で武装して、それがいいと
思っている。
一方、「大人の読書」とは施行を深め、感性に磨きを
かけるための読書。
情報より大切なものを得るために本を読むのだ。

 時には「とりかえしのつかない人」を適菜さんは
「薄っぺらい人」とも表現している。
たとえば、一流のシェフが作ったフレンチを食べて
「うまい」としか言わなかった友人がいた。
彼は日頃、ファストフードのハンバーガーを食べている。
「どっちがうまい?」と聞くと、「微妙」と答えた。
彼の薄っぺらい感性に、「こいつは本を読んでないな」と思った。

 また、世の中で起きている問題を聞いても、日本史のことを
聞いても「別に興味ないし」とその友人は言う。

「薄っぺらい人はいつもそう考える。人は社会や歴史と
つながっているのに、本を読んでいない人はそこに価値を
見出すことができない。」と。

 それから、情報をタダだと思っている人も「とりかえしのつかない人」。
そういう人は必要な情報をいつもネット検索して得る。
「そういうことを繰り返しているとどんどんバカになる。
ネット検索だと探している『答え』しか見つからないからだ。

大事なのは『答えにたどり着く過程』、すなわち思考回路を
つくることだ」と適菜さん。

 彼が薦める「大人の読書」は歴史を超えて読み継がれている
文学書や古典を読むことである。
しかし、そういう本は一般的に難しい。
難しい本は避けたいと思うのが人情である。

 ところが、文筆家の執行草舟さんは「難しい本こそ読むべし。
その際に大事なのはわかろうとしないこと」と言う。
今の自分には理解できないくらいの本を読み、
「何が書いてあったのかよくわからなかった。難しかったなあ」、
そう思える本がいいのだ、と。
「わからなくていい」という執行さんの読書観に少しホッとした。

 「分からない」と思った瞬間、脳内の「検索エンジン」が動き始めるらしい。
すると何年かかるかわからないが、いつか必ずわかる日がやってくる。

 ただし、「分からない」ということに出合わないと、
「分かる日」はやってこない。
その間に思考は深まり、感性は磨かれていく。
これこそ「大人の読書」の妙味である。

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