NHKなどテレビでも有名な教育学者の齋藤孝先生に
「日本の国語教育はかくあれ」のテーマで国語教育の現状と、
国語力養成の重要性についてお話しいただきました。
「国語が人生の基礎をつくる①」の続きです。
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国語と人間性の成長
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国語のもう一つ重要な点は精神の涵養に関わっていることです。

江戸時代の寺子屋は素読によって人間性を高めるという側面が非常に大きかったのですが、
国語という教科もまた、ものの考え方や人格の成熟を担います。

単純な言葉のトレーニングではなく、文学を趣味として読むのでもない。
人間性と言葉をセットにして成長させていくことを促してきたのです。

国語のテキストに採録されるような文章は非常に深みのある多義的な内容を
含んだものが多いので、議論していくとより深さが増していきます。
それゆえ知的な対話を喚起する素材になるのです。

国語は人間性の成長とは無関係であり、日本語という言語を教えればいいのだと
考える方もおられますが、教科書が人間の精神性と切り離して言葉だけを教えるドリル
のようなものであるとしたら、あまりにも物足りないと言わざるを得ません。

むしろ人間性を養うという重要な役割を担ってきたと考えるからこそ、
国語が重要なのだと言えると思うのです。

人間性を養うという点では道徳という教科もあります。
しかし、道徳は国語ほど時間数が多くないし、教える内容もあまりはっきりとしていません。

道徳に限定して人間性を養うというのも狭い感じがします。
その点、国語はいろいろな文章からいろいろな意味を受け取ることができます。
クラス全員で話し合って意味を見出していくという作業を行えば、対話もでき、思考の深化も期待できます。

ここで大事なのは、テキストです。
友達とやり取りしたおしゃべりのメールと夏目漱石の講演とでは、当然それを巡る議論の深さが違ってきます。

誰の書いた文章でも同等の価値があるわけではありません。
やはり書き手によるのです。

文章に込められた人格の深み、教養の深さ、広さを感じさせる書き手は日本に数多くいますし、
また日本語に翻訳された優れた外国の作品もたくさんあります。

それらをテキストにして日本語を充実させ、人格を成熟させる役割が国語にはあるのです。

ところが近年、その内容がどんどん薄くなってきています。

これは時代に逆行しているといえます。

情報が溢れた時代だからこそ、語彙力を高め、文脈力を身につけて、
精神の成熟に繋がるようなテキストを読まなくてはいけないのです。

それが現在なすべき教育改革の根本だと思います。

 

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