致知出版社の偉人メルマガから阿純章氏の
心に残るお話の一部をご紹介します。

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「今ここ」に真剣な子供と深刻な大人

幼稚園の保護者会のときに、お母さん方に「皆さんの可愛いお子さんが
オギャアオギャアと生まれたときに、自分の子供を不完全だな、
人間としてまだまだ欠けてこんなに至らないなって思ったことありますか」と聞くんです。

もちろん、誰もそう思うなんて答えません。
オギャアオギャアと精一杯泣いている姿が完璧なんです。

それがだんだん大きくなって、ずり這いしたりハイハイしたりするようになる。

そんな子供を見て、親は「なんだ、まだ二足歩行もできないで」とは決して思いません。
精一杯ハイハイしている姿が完璧なんです。

それから幼稚園に入って一生懸命合唱したりとか、頑張ってかけっこしたり
している姿を見ても、ああやっぱり完璧だなというふうに思います。

 子供というのは、ずうっと完璧なままだと思います。

 ところが、子供が成長するにしたがって、親はいつしか人の子と我が子を比較したり、
将来の理想的な大人像みたいなものと比較をするようになります。

そして「この子はまだまだ」「あの子に比べてうちの子は」と思うのです。
不安にかられて、完璧な存在にケチをつけてしまうのです。

でも、ずうっと精一杯に生きていれば、その姿はいつでも完璧です。
何かと比較する必要などないのです。

それは子供の間だけではなくて、大人になっても、精一杯に生きていれば
ずっとずっと完璧のまま生きているんです。

それを忘れてしまって、私たちはどこか自分の欠けたところを探したり、
人と比較して自分はダメだと思ってみたりして、
完璧さを見失ってしまうのではないでしょうか。

子供というのは不思議なもので、自覚はしていないけれども、日々完璧な自分を生きています。

それは「今ここ」になりきっているからです。
「今ここ」の主人公として精一杯元気で生きているんですね。

 そして子供はいつも「今ここ」に真剣です。
これに反して、大人は「今ここ」に深刻なのです。

深刻という字は「深く刻む」と書きます。

過去・現在・未来の自分というものを深く刻んで、
人と自分はどこが違うというように深く刻んで、
それをずっと持ったまま生きているわけです。
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自分は「今ここ」に真剣か?
いつも考えなければいけません。

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