志賀内泰弘さんのブログ「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」から紹介します。
志賀内さんの知人で木下晴弘さんが塾のカリスマ教師をしていた頃の話です。
木下さんは塾でいろいろな相談をお母さんたちから受けました。
その中で代表的な話を一つ紹介します。
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「飢えたライオンはだれを食うか?」

子どもがやる気を見せないという相談は実に多い。
家に帰ってきたらマンガやゲームばかりで勉強しないとか、夏休みも終わって追い込みというのにダラダラしているとかである。
「何とかできないか」とSOSが寄せられ話し合いとなる。
こういう場合は必ず、保護者と子ども、そして私の三者で面談する。
勉強に対する取り組みを変えてほしいのだから、目の前に当の本人がいなくては意味がない。
三者集まるのが前提だ。

そんなとき私はよく「飢えたライオンの話」というのを聞かせる。
目の前のお母さんの胸にグッとくる話をする。
でも直接話をする相手は生徒のほうである。

「もしもね、ここに腹を空かせて獲物を探しているライオンが、突然入ってきたと考えてほしい」
野生の動物というのは体が小さくて弱い、とにかくつかまえやすい相手を狙う。
だから「ライオンも必ずそうするだろう」と前置きをして、子どもに質問する。

「じゃあ、ここで真っ先に狙われるのはだれかなあ?」

「僕です」と答える。
わざと回りくどく話しているので子どもには話の意図が見えない。
ポカンとしている。

「確かに、お前が食われるよなあ。悪いけど先生は君を守ってやれないと思う。
ごめんな。気を悪くするなよ。先生にも自分の家族とか守るものがあるから、
ひょっとしたら君がライオンに食われている隙に、これ幸いと先生は逃げていくかもしれない。
でも、このなかに一人だけ、ライオンの前に立って自分の体を投げ出して内臓をかじらせながら、
今のうちに逃げなさい!と君に言ってくれる人がいる。だれかわかるか?」 

生徒はもちろん「お母さん」と答える。
このあたりからお母さんはハンカチを出し、込み上げるものを必死に抑えている。
やはり可愛がって育ててきた子どもに対する思いが頭を駆けめぐるのだと思う。
正しくいえば無理やりこちらがさせているのだが。

「お前が生まれた日からな、お母さんはどんな思いで育ててきたかわかるか。
先生はお前のお母さんじゃないけどよくわかるで」

こう問いかけるのである。

 「お前も最初は赤ちゃんやった。歩けないよな。
その歩けない赤ちゃんでも移動せなあかんよな。
そういうとき、お母さんはどうしてきたと思う。
ちっちゃいお前を抱きかかえて動いたんや。
そのお母さんの腕の感覚、覚えていないんか」

もうお母さんはボロボロだ。
流れた涙でマスカラがはげ、まるでツタンカーメンみたいな形相になっている。
すると子どももお母さんが泣くのを見て一緒に泣く。
これでいいのである。子どもが泣いたら十分なのだ。

 「お前な、自分の命をライオンにやってでもお前を守ろうという人間が泣いている。
そんな大事な人間を泣かせてそれでお前は平気なのか」 

実際に泣かせているのは私であるが。
お母さんはライオンの話に泣かされ、勉強しない子に泣かされている。
ここではもうゴッチャになっているのだが、子どもは泣きながら話を聞いている。

「どうや、ふだんのお前の生活はどうなんや。
お母さんは、お前のことが心配や。勉強? もちろん大事や。
入試合格? そりゃあしてほしい。
でもお母さんの本音の本音を言えばな、別に入試の結果なんてどうでもいいんや。
お前が幸せになってくれたらそれで十分なんや。
そのために、人生には懸命に頑張って、決めた目標に向かって走らなあかんときがある。
今がその時なんや。
そしてお母さんは、そうやって走るお前の姿を見たら、もし自分が死んでいなくなったあとでも安心やと思えるんや。
ところがどうや。お前は今そうなっているか」

 「いいえ」
子どもは答えるが涙でクシャクシャだ。

 「なってないよな。だったら明日からどうする?」

これでグッとモチベーションが高まる。
小さい子でも「頑張ります」と答えて、少なくとも一週間は別人のようになる。
言葉ひとつで人は走り出すのだ。
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子どもたちも丁寧に話していくと、わかってくれます。
そして、心にストンと落ちるとあとは頑張るようになるのです。

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