『悩んでいた母親が一瞬で救われた子育ての話』平光雄著から紹介します。
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口癖は心癖になりますし、心癖も口癖になります。
「ありがとう」とあまり言わない子がいます。
言わないだけでなく「感謝の心」も足りません。
いろいろな事態を「ありがたい」と思うのではなく、
「当たり前」と思っているからです。

たくさんの子を見ています。
感謝の心も育てていくもの、であると。
決してどの子にも自然発生的に感謝の心が芽生え育っていくわけではありません。
特に、昨今のように親が先回りしていろいろなことのお膳立て(おぜんだて)をしている
(しかも、それがけっこう長期間にわたることも多い。)と、そろっていて当たり前、
不都合や不本意は「おかしいもの」「誰かが悪い」と
とらえるようになっても何の不思議もありません。

さらに、親もあまり「ありがとう」を言わず、「文句」が多いなら、
感謝の念が育つ要素は実に乏しいといえましょう。
かつては、「ありがたい、ありがたい」と言うのが口癖のおばあさんが、
あちこちにいたものです。最近は、ずいぶん減ったように思います。
代わりに喫茶店などで、おばあさんの集団の会話がぼやき、
文句の会のようになっているのをよく見かけるようになりました。

それだけ、世の中が暮らしにくくなった?
そうだという論はいくらでも言い立てられるでしょう。
「世の中がこんなにひどくなったから」仕方なくぼやいているのだと。

百歩譲って、たとえそうであっても、本来さほどぼやく必要のないような
子どもにまでそんな心証を持たせていいはずがありません。
それは一生の不幸を招くからです。

「有り難い」事態であるかどうかは、子どもにはわからないことが多いですね。
殺し合いや飢えへの恐怖が日常であった過去の歴史や、
戦争や貧困の只中にある世界の国々と比較すると、
「今、ここ」を見る教養や実感が不足しているわけですから。
でも、大人にはその「有り難さ」がいくらでも見えるはずですよね。
その時、すかさず「有り難いね」と伝える。
そうして「有り難さ」を教えていくのです。

身のまわりに不満の種はあふれているかもしれませんが、「有り難い」の種もあふれているのです。
ものをできるだけ「感謝」の視点で見られるようにしたいものです。
「不満」の視点で見ても成長にはつながらないことが大半です。
「歴史の縦軸」と「世界の横軸」を想起してみるのです。
すると、縦軸の歴史を紐解けば戦争、貧困。
横軸の世界を見てもまた戦争、貧困です。
——それらと比べ、現代の日本にいるというだけで
感謝のネタには事欠かないはずです。
まず大人がその「有り難さ」を再認識する必要があるでしょう。

そして、大人が率先して「有り難い」を見つけ、「ありがとう癖」を身につけ、
子どもにその癖を伝染させていきたいですね。

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