助産師の内田美智子さんが出会った、あるお母さんの話です。
 内田さんはこれまでに2,000人以上の赤ちゃんの出産に立ち会った助産師です。
 その経験を生かし、全国で「生」「性」「いのち」「食」をテーマにした講演会を開いています。

「おかあさんの宝物」 内田美智子(助産師)
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 自分の目の前に子どもがいるという状況を
 当たり前だと思わないでほしいんです。
 自分が子どもを授かったこと、子どもが「ママ、大好き」と言って
 まとわりついてくることは、奇跡と奇跡が重なり合って
 そこに存在するのだと知ってほしいと思うんですね。
 そのことを知らせるために、私は死産をした1人のお母さんの話をするんです。
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 そのお母さんは、出産予定日の前日に胎動がないというので来院されました。
 急いでエコーで調べたら、すでに赤ちゃんの心臓は 止まっていました。
 胎内で亡くなった赤ちゃんは 異物に変わります。
 早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。
 でも、産んでも、なんの喜びもない赤ちゃんを産むのは大変なことなんです。
 
 普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、ずっと付き合って
 お母さんの腰をさすって「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」
 と励ましますが、死産をするお母さんにはかける言葉がありません。
 赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、
 死産のときは本当に静かです。
 しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。
 
  そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後、「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。
 明日にはお葬式をしないといけない。せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。
 私たちは「いいですよ」と言って、赤ちゃんにきれいな服を着せて、お母さんの部屋に連れていきました。
 
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 その日の夜、看護師が様子を見に行くと、お母さんは月明かりに照らされて
 ベッドの上に座り、子どもを抱いていました。
「大丈夫ですか」と声をかけると、「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。
 よく見ると、お母さんはじわっと零(こぼ)れてくるお乳を指で掬(すく)って、赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。
 
 死産であっても、胎盤が外れた瞬間にホルモンの働きでお乳が出始めます。
 死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を飲ませて止めますが、すぐには止まりません。
 そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたらじわっとお乳が滲んできたので、それを飲ませようとしていたのです。
 飲ませてあげたかったのでしょうね。死産の子であっても、お母さんにとって子どもは宝物なんです。
 生きている子ならなおさらです。
 一晩中泣きやまなかったりすると「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、
 それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。
 
 母親学級でこういう話をすると、涙を流すお母さんがたくさんいます。
 でも、その涙は浄化の涙で、自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。
「そんな辛い思いをしながら子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」
「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」と前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。
          

 子どもが目の前で笑ったり、泣いたりする奇跡をどうか当たり前だと思わないでください。
 

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