九州にある南蔵院の住職である林覚乗さんの著作「心豊かに生きる」から紹介します。
この林覚乗さんの話は過去に何回かこの「コトバの力」でも紹介しました。
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また、最近もいじめのニュースが新聞やテレビで報道されました。
この報道に接して感じるのは、子供たち自身が生きる価値や自分の命の尊さというものを
もっと大切にしていける環境を大人の社会が作っていくことが急務なのでは、ということです。
いじめ撲滅宣言をすることよりも、人を大切にする心を持った人間を
育てることの重要さがこれほど問われているときはないと思います。
ここにNTTのふれあいトーク集の中にあった素晴らしい子供たちのことを紹介します。
30歳の男性が書かれた「雨が残してくれたもの」という文章です。

 先日、私は風邪のために体調が思わしくないので会社を早退した、その帰り道、
遠くでは雷が光っていて、空は真っ黒い雲に覆われ今にも振り出しそうでした。
 私が車を止めて信号待ちをしていると、横を通りすぎていく
小2ぐらいの男の子が、足にけがをしている様子。
包帯で覆われた脚は引きずっていて、痛そうでした。
そのうち、雨がバラバラ降ってきた。、まわりを見渡しても田んぼと畑ばかりで、
ケガをしている足じゃ走っていくこともできなかった。
 後ろから三人の男の子が走ってきて、ケガをしている子を追い抜いていくと、また戻ってきた。
一緒に濡れていこうというのだ。三人の子の優しさが痛いほど伝わってきた。
 私はかわいそうになり、その子たちのそばで車を止め、車に乗るように勧めた。
が、怖がって乗ろうとしない。それもそのはず、知らない人の車には絶対乗るな、
と言い聞かされているのであろう。親切のつもりで声をかけたのだが、無理もない。
今の世の中、危険が多すぎて、それが人の心までも変えてしまっている。
 私は、口でどう説明しても無理だと思い、子供たちに私の車のキーを渡し、
「これを持ってとりあえず車へ乗りなさい。君たちがキーを持っていれば、
この車は動かない。おじさんも怖くないだろう。」
 子供たちはキーを受け取ると、後ろの座席に乗った。
激しい雨が通りすぎるまで約十分くらいだっただろう。子供たちの表情は相変わらずかたかった。
 やがて、雨がやみ、車から降りると、子供たちは明るい表情に戻っていた。
大きな声で「ありがとう」といって、手を振る子供たち。実に生き生きしていた。

 それから数日後、子供たちが私と出会ったあの信号機のところで待っていたのであった。
いつ来るかわからない私を待っていてくれたのだった。
私を見ると、ニコニコと笑い、手を挙げて近寄ってきた。
 「おじさん、この間はありがとう」と言って、一本のジュースを差し出した。
自分たちの小遣いを集めて買ったのであろう。
私を毎日、毎日、待っていてくれたという。
一本のジュースを私に渡すため、何本買ったことだろう。
子供たちの優しい気持ちで、私はうれしさのあまり涙が止まらなかった。
こんな私を・・・・・
 それ以来、通りすぎる子供たちを見かけては、クラクションをあいさつ代わりに使っている。
あの時のジュースは、今まで飲んだどんなジュースも及ばない、甘さを残している。

この子供たちが、学校で百点取ることも素晴らしいけれど、
この行為そのものに百点をつけてやることも大切だと思うのです。
いじめで悩んでいる子供たちが死を選ぶことはとても勇気がいることかもしれません。
しかし、多くの苦難に立ち向かい、乗り越えていくことは、それ以上の勇気が必要ですし、
そして、乗り越えたときには、素晴らしい喜びがあることを子供たちに知ってほしいと思うのです。
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生きていくためにどんな力が必要なのか。
人のために生きるとは。生きがいとは何か。
本物の喜びとは何か。
いろいろと考えさせられる話でした。

 

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