認知症になった母の介護に20数年間携わりながら、珠玉の詩を紡ぎだしてきた詩人・藤川幸之助さん。
『致知』最新号「語らざれば愁なきに似たり」では、藤川さんに壮絶な介護体験、
そこから得た介護の本質、人間が生かされていることの尊さを語っていただいています。
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(藤川)
母が認知症になった30年前には、病気への理解がまだ進んでいませんでした。
認知症の家族を人目につかないよう家から出さないという家庭もありました。

でも父は、
「何が恥ずかしいものか。俺が愛して愛して結婚したお母さんだぞ。
病気が心臓、肺にくる人がいるようにお母さんは病気が脳にきただけだ」と、
いつも母の手を固く握って散歩に出ていました。

認知症の母がどうやって散歩するかというと、
がに股で歩きながら数分ごとに立ち止まり「あー、あー」と声を上げ、
人とすれ違えば誰構わず触ろうとする。
2人の散歩についていく時、私は恥ずかしくて仕方がありませんでした。

ある日、散歩中に小学生くらいの子供が足元の小石をぱっと拾って、
「ばーか」と言いながら母に投げつけ、逃げていったことがありました。

いつものことなのでしょうか、父は母に寄り添ったまま堂々と歩き続けましたが、
私はかっとなってその子を追いかけようとしました。
すると父は、「病気を知らない子を叱ってはだめだ」と私をこう諭してくれたのです。

「あの子よりも問題があるのは幸之助だ。
おまえはお母さんのことをいつも恥ずかしがっているだろう? 
がに股で歩こうが、あーっと声を上げようが、それはおまえの母親が認知症を抱えながら
必死に生きている姿なんだぞ。息子のおまえにはそれが分からんのか」

認知症になっても、人間はその時その時を必死に生きている。
父の言葉を思い出すと、いまでも涙が込み上げてきます。
この言葉が後に母の介護に向き合うことになる私の心を支えてくれました。

また、詩人として……

※この続きは『致知』最新号「語らざれば愁なきに似たり」をご覧ください。

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