以前何回か紹介した『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』。
その中から片岡球子さんのお話をご紹介いたします。
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「落ちるからこそ、いい作家になれる」
 片岡球子(日本画家)
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思い直して中島清之先生(院展院友)のお宅へ戻り、落選を告げると、
先生はいきなり「落ちるからこそ、いい作家になれるんだ。
その味を忘れちゃいかん」と、怒鳴るようにおっしゃって、
こう続けられました。

「僕はある人に前々から言われてるんだ。
 『片岡は最後まで残るのに、
 いつも最後の審査で落選している。
 あれじゃあんまりかわいそうだ。
 君についているそうだが、何とか激励してやれよ』と。

 しかし、片岡さん、僕は考えるんだ。
僕がもしも、君の絵に、僕の意見を言ったり、
手を入れたとしたら、君はもう君独自の君流の絵は描けなくなる。
 君一人で絵は描けなくなるんだ。
片岡球子の絵は、片岡球子の絵でなければならない」。

このお言葉は忘れることができません。

人が三年でなる院友に、私は十年もかかりました。
その三年後のことですが、院展研究会に大観先生から
「雄渾」という作品画題が出されました。

その時、かねてから描きたいと思っていたモデルを思い浮かべました。

 横浜の上大岡という所に住んでいる行者で、渡辺万歳という人です。

 金持ちの大農家の当主でしたが、目はランランと輝き、口は大きく、
さらに大きなあぐら鼻を持った不動尊そっくりな行者でした。

 早速行者を訪ね、モデルになってほしいと告げると、
「よし、そんなに描きたいのなら、寒の入りから二十一日間、
二足四足(鶏と獣肉)を断ち、朝は十時に卵一個、昼夜は菜食。

 夜中の正二時に水行を続けたら、モデルになってやろう」と言います。
学校で教えながらの行です。

終わり頃には足がふらついて困りましたが、
とにかくやり遂げて行者を訪ねていきました。

すると、私が一言も言わないのに、
無言で私を護摩壇の前に連れて行きました。

燃えさかる炎の前で、行者はあぐらをかいて座り、
紅蓮の炎に照らし出される行者の顔は、鬼気迫るものでした。

 この絵が小林古径先生の目に留まり、二等賞になりました。

 そして、古径先生のお宅に呼ばれたのです。

 まず「今回の絵は良かった。あの勉強の仕方でいいから、
一所懸命に勉強をしなさい」と言われました。

そして、「あんたの絵はゲテモノだって有名だ。本当にゲテモノだ。
 だけれども、私は言っとくけど、ゲテモノやめちゃいけない。
 ゲテモノでいいんだ。
 だから人に何て言われても、それをみんな自分の栄養だと思って、
 腹の中に入れときなさい。
 自分の主義主張を、曲げないで、ゲテモノをずーっと続けて、
 二十年、三十年、四十年と経っていくうちに、あんたの絵が変わってくる。
変わってきたらしめたもんだ。
本物の絵描きになれる、私の言うことはちゃんと守りなさい」
と、そういうふうに言われました。

神様が会わせてくださったみたいです。

私は終始、先生の目を食い入るように見つめ、全身を耳にして聞きましたよ。
一語、一語、肝にしみ通るようでした。
自分が間違いなく、駄目な絵を描いているのだな、と思い知りました。

 それと共に、このまま描いていきなさいという先生のお言葉に、
いただいた二等賞のこともあり、心の片隅にほんの芥子(けし)粒ほどの
膨らむものを感じました。
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「絶対にあきらめない」ということでしょうか。

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