本日は、致知出版社の「致知Bookメルマガ」から
藤川幸之助さんの話を紹介します。
藤川さんは認知症の母の壮絶な介護体験から、
人々の心を打つ珠玉の詩を数多く紡ぎだしてきた詩人です。

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(藤川)
母が認知症になった30年前には、
病気への理解がまだ進んでいませんでした。

認知症の家族を人目につかないよう
家から出さないという家庭もありました。

でも父は、
「何が恥ずかしいものか。俺が愛して愛して結婚したお母さんだぞ。
病気が心臓、肺にくる人がいるようにお母さんは病気が脳にきただけだ」
と、いつも母の手を固く握って散歩に出ていました。

認知症の母がどうやって散歩するかというと、
がに股で歩きながら数分ごとに立ち止まり
「あー、あー」と声を上げ、
人とすれ違えば誰構わず触ろうとする。

二人の散歩についていく時、
私は恥ずかしくて仕方がありませんでした。

ある日、散歩中に小学生くらいの子供が
足元の小石をぱっと拾って、
「ばーか」と言いながら母に投げつけ、
逃げていったことがありました。

 いつものことなのでしょうか、
父は母に寄り添ったまま堂々と歩き続けましたが、
私はかっとなってその子を追いかけようとしました。

すると父は、「病気を知らない子を叱ってはだめだ」と
私をこう諭してくれたのです。

「あの子よりも問題があるのは幸之助だ。
 おまえはお母さんのことをいつも恥ずかしがっているだろう?
 がに股で歩こうが、あーっと声を上げようが、
 それはおまえの母親が認知症を抱えながら
 必死に生きている姿なんだぞ。
 息子のおまえにはそれが分からんのか」

認知症になっても、人間はその時その時を必死に生きている。
父の言葉を思い出すと、いまでも涙が込み上げてきます。

この言葉が後に母の介護に向き合うことになる私の心を支えてくれました。

また、詩人としての講演活動で各地を訪れた時に、
私はお土産屋さんで売っている小さなキューピー人形を
母によく買っていきました。

なぜ人形を買うようになったかというと、
認知症が分かった頃の母がいつも家にあった
キューピー人形を抱っこし、真顔でその人形にキスをしたり、
オムツを替えたりしていたからです。

当時の私には、自分は正常な世界にいて、
母は異常な世界にいるのだという思いがあり、
「何でそんなことをするんだ」と母を叱ってばかりいました。

しかし人形を離さない母の姿を見ていると、
もしかしたらあの人形は私か兄、幼くして亡くなった姉の
誰かなのかもしれないとふと感じたのです。

私は「できる、できない」
「分かる、分からない」で向き合っていましたが、

母には「感じる、感じない」は残っていた。 

母の心は若い頃の自分に戻り、
若い頃の世界をしっかり生きている。

頭の中に広がっている世界に生きている
という意味では母も私も同じ。

そう思えた時、正常な世界と異常な世界という
区別が消えていきました。
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人と人が支え合う介護の本質、
そして生きることの尊さを感じることができるような気がします。

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