魂が震えるブログから紹介します。
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 かつて阪神タイガースの監督をしていた吉田義男さんが、阪神の監督を退任後、フランスに渡って、フランスのナショナルチームを七年間指導されたことがありました。
 吉田さんが任期を終えて帰国なさった時に、「フランス人に野球を教える上で何が一番難しかったですか」という質問を受けて、彼は意外にも「送りバント」と答えています。
 「送りバントを教えるのに三年かかりました」とおっしゃったのですが、送りバントが技術的に難しいわけではないと思うのです。

フランス人は、「自分がアウトになるのがわかっていて、なぜバントをするのですか?」と訊いてくる。
つまり、「自分はアウトになるけれども、走者を生かす」という、送りバントの発想を持つことができないのですね。
「送りバント」という発想の根底には、日本人独特の死生観があるのではないでしょうか。

西洋の権力者が不老不死の薬を求めたという話を、私は何度か聞いたことがありますが、日本人が不老不死の薬を求めたという話は、聞いたことがありません。
人間であれば、誰もが「永遠」に憧れるものだと思いますが、その「永遠」の概念が、西洋と日本とでは違うのです。

目に見える肉体を長く保つことで、「永遠」を手に入れようとした西洋人。
それに対し、日本人は、「肉体には限りがある。でも、自分の思いを受け継いでくれる人がいたら、自分の命は永遠である」と信じてきたのではないでしょうか。

だから日本人は、自分は死んでも周りの人を生かすことによって、永遠の命を得ると考え、そういう生き方を大切にしてきたように感じます。
  『幸せの神様に愛される生き方』白駒妃登美著より

 自分を犠牲にして、他者を生かす。
 先人の思い(志)を受け継いで、その思いを次の世代の人が叶えていく。
 こんな素晴らしい考え方をする日本人が私は大好きです。

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