以前紹介した『悩んでいた母親が一瞬で救われた子育ての話』(平光雄著)から紹介します。
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 子が、あるいは親自身が、大きな失敗をしてしまう・・・そんなことは誰の人生にだってありうることです。
「想定内」にしておかねばならないことでしょう。
 実はそのあと、が問題なのです。

 事実と解釈の間には「すき間」があります。
「大きな失敗=とんでもないこと」と固着しているわけではないのです。
 そういう解釈をしたから、その事実にその「値札」がついたのです。
 そうは言っても、大失敗はとんでもないことでしょ、とは人情ですが、
絶対的にそう決まっているわけではないということをまずは認識すべきです。
 そうでないと、子の大失敗について、必要以上にビクビクして暮らすことになってしまいますから。
 いくら慎重に生活していても、問題は起きるときには起きるものです。そういうものですね。
事実をある解釈と固着してしまうと、大失敗を「ただの不運」「不幸のもと」「取り返しのつかないこと」と固定することになってしまうのです。

 よく、他人と過去は変えられない、と言いますよね。
 でも、他人はともかく、「過去」は変えられるんですよ。
 もちろん、事実としての過去は変えられないですけれど。
 しかし、「過去」は変えられます。

 どういうことかとお思いでしょう。
 それは、過去の事実に自分がつけた「値札」は取り替えられるということです。
 どんな人物伝を読んでも「最悪の失敗」が、後に「成功のきっかけの失敗」だったということは枚挙にいとまがないですよね。もしかしたら、そういう経験がおありかもしれない。(私にはたくさんあります。)

 「値札」とは解釈の仕方です。
 その「値札」はいくらでも変わりうる。
 そう認識できれば、必要以上に失敗にビクビクする必要がなくなりませんか?
 どんなことがあっても、これはあとになってみたら、成功のもとかもしれない、
あとになってみなければその「真価」はわからない、と思えるようになる。」
 これは「塞翁(さいおう)が馬」の話の通りですね。

 そう思えば、子どもや自分に起こったことについて、近視眼的に騒ぎ立てなくてもいいかもしれないな、という「余裕」は少しはできるはずです。

 この「少し」の違いが大きいのです。
 動転を防ぎ、早まった行動を防ぐことになるのです。

 過去は変えられます。
 必要以上に失敗を恐れない。
 何があっても必要以上に動転しない余裕を持つ。
 子を持つ親には特に大切な心得と言えます。
 子どもは、日々、成長変化し、何が起こってもおかしくないものですから。

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