休校中の子どもたちに贈る「こんなときだからこそ伝えたいこと」③

「休校中の子どもたちを何かで元気づけられないか?
 不安を和らげてあげられないか?」
そんなふうに、いろいろと考えてくださった結果、作家の瀧澤中さんが
「人間力メルマガ」にて、特別にこんな記事を寄稿してくださることとなりました。
その第3回です。(全5回)
………………………………………………
いま、マスクが足りません。

なぜか、トイレットペーパーやちり紙もお店からなくなっています。
マスクはたしかに、足りないようです。
でも、じょじょに生産が追いついてくるようですし、トイレットペーパーやちり紙は
ちゃんと普通に生産されて、本当は足りているらしいのです。

足りなくなったのは、「トイレットペーパーがなくなる」という、
ウソの情報を信じた人が、買いあさっているからです。

一部の人は、買い占めたマスクやトイレットペーパーなどを定価の
何倍もの高い値段で売ってもうけています。
なんだか変だなぁ、と、思いませんか。

尾崎行雄という人がいました。
「憲政の神様」として、有名ですね。
大正時代を中心に活躍した、政治家です。

その尾崎行雄のお嬢さんが、小学校で、「紀伊国屋文左衛門(きのくにや ぶんざえもん)は
とても偉い」という話を聞いてきて、尾崎に話します。

紀伊国屋文左衛門というのは、江戸時代、紀州(いまの和歌山県と三重県の一部)から
江戸まで、みかんを運んで大もうけした人物です。

当時江戸では、海が大荒れでみかんが足りずに困っていました。
そこで紀伊国屋文左衛門は、荒れた海を乗り越えて
紀州から江戸まで、みかんを運んだのです。

尾崎行雄はお嬢さんに、こう言います。
「紀伊国屋文左衛門は、ちっとも偉くありません。
江戸の人が困っているのですから、みかんをタダで配ったというのなら偉いけれども
それで金儲けするなんて、もってのほかです」

尾崎は、そう言ってお嬢さんをさとしました。

また、明治時代に陸軍の医療を近代化させた軍医で赤十字社の社長もやった
石黒忠悳(いしぐろ ただのり)という人は、11歳でお父さんを亡くして苦労した人です。

石黒忠悳(ただのり)が12歳のとき、江戸が暴風雨にみまわれます。
幼いながら彼は、「紀伊国屋文左衛門は、江戸が大火事のとき材木を買い占めて大もうけした。
今回も、多くの家が暴風雨でこわれてしまうから、材木は高くて買えないけれど、釘(くぎ)を買ったらもうかるかもしれない」

さっそく彼は釘を買いました。
その話を聞いたお母さんは、激怒します。

彼を座らせて、「昨年、お前の父上が亡くなられる直前に、その枕元で
 お前を立派な人間にすると私が誓ったことを忘れたのですか!」

つまり彼のお母さんは、釘を買ったことは立派な人間のすることではない、と考えたのです。

彼の叔父たちは、「これから釘の値が上がる、その前に釘を買って大もうけしようとしたのは
たいしたものだ」、と忠悳(ただのり)をほめます。

しかしお母さんは、そのことにも怒ります。
「こんなことで、人にほめられて得意になっているとは、見下げたものです!」

当時、お母さんの実家の2階に、お母さんと一緒に住んでいた忠悳(ただのり)少年。
激怒したお母さんは、二階から彼の布団を一階に投げ捨てます。
「もう、この部屋にあがることはなりません!」

まだ12歳の忠悳(ただのり)少年にとって、お母さんから見捨てられたことは
ショックで、その晩は一睡もできませんでした。
お母さんが彼を許してくれたのは、三日後。

尾崎行雄が、娘をさとし、石黒忠悳(ただのり)のお母さんが、激怒したのはなぜなのでしょうか。

それは、「人が困っているときに、人を助けるのではなく、
 困っていることに便乗してお金もうけをしようとしたこと」
それが、立派な人の行ないだとは思えなかったからですね。

紀伊国屋文左衛門は実際にこうしたことをやったのか史実では確認できません。
しかし、こういう行ないが、いつの時代、どこの国でも起こっているのは事実です。

そして私たちはいま、目の前で、それを体験しているのです。

1回目から触れてきましたが、自分以外の人のことを考えたら、こんな行動はできません。
自分の心に問いかけて、少しでも「おかしいな」と感じたら、まずは立ち止まって考えてみましょう。

そのとき、ぜひ今回の話を思い出してくださいね。

校内連絡