志賀内泰弘さんのギブ&ギブメルマガより紹介します。
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 滋賀県で高校教諭をしている北村遥明さんは、毎月ゲスト講師を招いての勉強会「虹天塾近江」を主催し、
その講演録などを掲載したニュースレターを発行しています。
今日は、その北村さんの「ちょっといい話」を紹介させていただきます。

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「忙しくても、なくしたくないもの」北村遥明

「忙しい」という言葉がある。
「心を亡くす」と書くので、私はこの言葉を、「忙しいと自分の行動に心を込めることを忘れてしまう」と理解していた。
でも、他にも意味があることに気づかされた出来事があった。

ある年の夏の終わり頃、職員室の電話が鳴った。
担任をしていたナツミのお母さんからだった。

「来週から高校生活最後の二学期が始まるのに、うちの子、調子悪いので
病院に連れて行ったんです。そうしたら、糖尿病と診断されました」

お母さんの話によると、ナツミは今後毎日、お弁当を食べる前に自分でインスリンの注射をお腹に打たなければいけないということだった。
ナツミは健康的で活発な生徒だったので、私は最初信じられなかった。
電話を切ったあとには、やはり「かわいそうに…」という気持ちが残った。

二学期が始まると、ナツミは毎日昼休みに保健室にやって来て自分で注射を打った。
大変な状況である。
にも関わらず、いつも礼儀正しく、明るい表情を見せていた。

ところで、二学期の始めはいろいろな悩みを抱える生徒が多くなる時期だ。
ナツミと同じ書道部の生徒で、隣の学級のマナがまったく学校に来れなくなった。

けれども、担任や学年主任の尽力で、なんとか翌週から別室登校はできるようになった。
担任の話では、数名の友達とは連絡をとりあっているらしい。

そのような状況であったが、多くの生徒たちは高校三年生として進路に真剣に向き合っていた。
当然、私たち教員も補習、面接指導、書類作成など時間が足りないくらいに忙しかった。

気がつけば、中庭の木々の葉も赤く染まる時期になり、期末テストが始まった。
その初日の放課後に、卒業アルバム用の学年集合写真を撮影することになった。

中庭にどんどん生徒たちが集まってくる。
私たち担任は、自分の学級の生徒がちゃんとそろっているか確認していた。

「ナツミ一人だけがいない・・・」
私は焦った。
もしかしたら、糖尿病の影響でどこかで意識をなくして倒れているのでは・・・、
そんなことが頭をよぎった。
すぐに教室に走ったが誰もいなかった。

私は学年の教員全員に校舎の陰に集合してもらい状況を伝えた。

ちょうどそのときだ。
目の前の階段の上からナツミが降りてきた。

「ナツミ・・・どこ行ってたんや。みんな心配・・・」
そう言いかけた瞬間、後ろからもう一人姿を見せた。

別室登校をしていたマナだった。ナツミは言った。
「せっかくの卒業アルバムに載るみんなの写真だから、マナちゃんも一緒に写ろうって、呼びにいってたんです。遅れてすみません」

ナツミの話しによると、マナは十一月末になっても教室に行けなかったので、この日の写真撮影にも躊躇していたらしい。
でも、ナツミの説得により何とか下まで降りてきたというのだ。

ここで学年主任が機転を効かせた。
「マナ、よく降りてきたなあ。撮影ギリギリまでここに居てもいいで。
合図をするから、その瞬間に後ろの方からこっそり入りい。
そして撮り終わったら気づかれないように出て行ったらいいからな。
ナツミ、一緒にいてあげてや」

二人はとても安心した表情を見せて、学年主任のいう通りにした。結局、万事上手くいった。

あとからわかったことだが、ナツミは休み時間に時折、マ
ナが通っている別室にこっそり行っては、一緒に居てあげていたのだ。

自分も大変な状況だったはずである。

にもかかわらず、友達のことを思って行動し、一緒に写真を撮れたことを心から喜んでいたナツミの姿は今でも忘れない。

三年生の担任として進路指導でたしかに忙しかった。
でも、それを言い訳に危うくナツミの優しい心に気づけないままになるところだった。

「忙しい」という言葉には、「人の心を見ようとする心をなくしてしまう」という意味もあるのではないかと思えた出来事だ。

忙しい時代であるが、大切なことをなくしたくない。 

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