「みやざき中央新聞」の中の記事で、水谷謹人編集長が書いた社説に「迷った人ほどいい顔になっている」というのがありました。紹介します。
 
 初めての土地で知らない道を行く時、ガイド役の人がいると心強い。今やドライブをする時はカーナビが欠かせないし、歩いて行く時でもスマホのナビゲーションがしっかりガイド役を務めてくれる。
 それは、便利でありがたいが、ひとつだけ困ったことがある。その時、脳内の思考回路がどうも機能していないようである。
 そんな時代だからこそ、あえて難解な読書をするなど、アナログな世界に浸るのがいいし、子どもについて言えば、有無を言わさず思考の世界で「迷子」にするのがいいと思う。
 
 最近はアクティブラーニング(主体的・対話的で深い学び)が重要視されているので教育現場でも、教員はすぐに答えを教えないことがある。大学のアクティブラーニング形式の授業を受けた、ある学生はこんな感想を書いた。
 「先生が『本当にそうなの?』と言って私を心の迷子にする。迷子になると私は必死で迷い道から抜け出そうとする。そのために私は考える。」
 別の学生はこう書いた。「ガイドが正しい答えに導いてくれたらそれは助かる。しかし、助かったと思うのは一瞬だけだ。実際誰かに連れて行ってもらった道はまったく記憶に残らず、再びその土地に言っても迷ってしまう。しかし、地図を見て迷いながら目的地にたどり着いた道は絶対に忘れない。学習もこれと同じではないか。」 

 私たちの生活は人工知能などを使ったロボットなどが活躍し、どんどん便利になってくる。その分だけ考える必要がなくなる。過剰な進化が進み、代わりに人はどんどん退化していく。
 そうならないためにも「迷子にする教育」は大切だと思う。
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 みなさんはどう思いますか。

 
 

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