ママ、死にたいなら、死んでもいいよ
紹介文
知的障害のある長男の出産、夫の突然死、生存率2割の大手術から生還するも、下半身麻痺となり、車椅子生活になる。
幾多の試練が容赦なく襲いかかり、もはや命を絶つしかないと思ったその矢先、著者は「死にたいなら死んでもいいよ」という娘の一言に救われ、前へ踏み出す勇気を得たといいます。
この本は現在年間180回以上もの講演を行い、人々に生きる勇気を与えている著者による初の自叙伝です。
この本のプロローグに心打たれました。
本書「プロローグ」より抜粋
ざわざわと騒がしい神戸のカフェ。
正面に座る娘が放った一言に、私は言葉を失いました。
2008年、初夏のことでした。その日、私は絶望の淵にいました。急性の大動脈解離という心臓の病気によって胸から下が麻痺し、数か月にわたり入院を続けていたのです。
歩くことはもちろん、当時は寝返りを打つことも、ベッドから起き上がることもできませんでした。
来る日も来る日も、天井を見つめながら涙を流しました。
入院180日目にしてようやく外出許可がおり、私は喜びに心を躍らせていたのです。
しかし、待っていたのは厳しい現実でした。
自分の足で歩いていた頃は、神戸三宮駅を降り、改札から街へと出るまでたった1分もかかりませんでした。
でもそこには、車いすで越えられない階段があったのです。
お手洗いに行きたくても、車いすで入れる個室はなかなか見つかりません。
17歳の娘に車いすを押してもらい、散々迷って辿り着いたお店の中は狭く、席に着くことすらできませんでした。
「すみません、ごめんなさい、通らせてください」
気がつけば私は一日中、謝ってばかりいました。
やっと入れるレストランを見つけた時、私は疲れ切っていました。
車いすでの外出が、こんなに苦しいとは思わなかったのです。
「なんで私は生きてるんだろう。死んだ方がマシだった……」
思わず、口にしてしまいました。
終わらない入院生活、つらいリハビリ、楽しめない外出。
世界中の誰からも必要とされていないような気分。
限界だったのだと思います。
すぐに「しまった、なんてことを言ってしまったんだろう」と後悔しました。
私は娘の顔を見ることができませんでした。
私はてっきり娘は「死なないで」「なんでそんなこと言うの」と泣いて言うだろうと思っていました。
娘は私の1番の理解者です。
病気で倒れる前もしょっちゅう2人でショッピングや映画に出かけていましたし、親子でありながら友達のように仲がよかったのです。
そんな娘から返ってきたのは思いもかけず、肯定の言葉でした。
「死にたいなら、死んでもいいよ」
皆さんの中には、ビックリしてしまう人もいるでしょう。
親に向かってひどい娘だ、と怒る人もいるかもしれません。
しかし、娘の言葉は、それまで受け取ってきたどんな言葉よりも、私を救いました。
自分の足で歩けず絶望していた私は、再び前に進もうと決めました。
「死んでもいいよ」から、私の新しい人生が始まったのです。
詳細
- 生徒★★ 保護者★★★
- ママ、死にたいなら、死んでもいいよ
- 岸田ひろ実
- 致知出版社 ¥1400+税