どんな仕事でもいいから、絶えず その第一人者となることを心掛けること(アメリカ鉄鋼王・カーネギー)

書籍『人生を創る言葉』は古今東西の偉人・英傑・大成功者の足跡を辿りながら、彼らが残した名言にスポットライトを当て、渡部先生が独自の解説を加えるもので、偉人たちの94の成功哲学が学べる知恵の宝庫と呼べる1冊です。

今回はその中からアメリカの実業家・カーネギーの言葉の一節を紹介します。

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※【カーネギー(1835~1919年)】

アメリカの大実業家。少年工から身を起こして世界の鋼鉄王となる。
晩年は財産をことごとく公共事業に寄付して、慈善王と呼ばれた。

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職業は何でもいい、ただ第一人者たるを心掛けよ

一人の新聞記者がカーネギーを訪ねてきて、こう頼んだ。

「青年のために、何か成功の秘訣というものをお話しください」
するとカーネギーは即座にこう答えた。

「よろしい。成功の第一の秘訣は、貧乏人の子供に生まれることだ」

新聞記者がびっくりして、「へえ、貧乏人の子供にですか」と聞き返すと、
「そうだ。私はそう信じている。私は食うや食わずの貧乏人の子供に生まれた。
毎晩、両親が暗い灯火のもとで、生活の苦しみをかこっているのを聞いたとき、
私の胸の中に奮発心が湧き起こったのだ。

今に見ろ! お父さんやお母さんをこんなに苦しめている貧乏というやつを
見事退治して見せるから、とね。

今日の私があるのは、これがためだ」

「よくわかりました。そして第二は?」

新聞記者がそう聞くと、カーネギーは答えた。
「第二は、どんな仕事でもいいから、絶えずその第一人者となることを心掛けることだ」

「なるほど」と頷くと、カーネギーはこう言った。
「私は最初、12歳のときに紡績工場の糸巻き小僧に雇われた。
そのとき私が決心したのは、よし、世界一の糸巻き小僧になってやれ、ということだった。

そして一生懸命に働いた。
その働きが認められたと見えて、こんな子供にいつまでも糸巻き小僧をさせておくのは
惜しいというので、今度は郵便配達員に雇われたのだ。

そのときも自分はこう決心した。世界一の郵便配達員になってやろう、とね。

そして一生懸命に一軒一軒の家と番地と名前を暗記した。
しまいには、町中のどんな小さな小路でも、私の知らない家は一軒もなくなった。

無駄な努力という人もいるかもしれないが、それが認められて、今度は電信技手にあげられた。

以来だんだんと同じやり方で、ついに今日の地位を築いたのだよ」
今、目の前にある仕事を一生懸命に勤めることによって、今より高い地位が与えられる。

成功者はそうやって少しずつ階段を上がっていって、
いつの間にか揺るぎないポストに就いているものである。

「いいポストがあったら勤めよう」という考え方では、
決して自分の望む仕事はできないし、思い通りの人生は送れない。

カーネギーの言葉は、そのことを教えてくれている。